地方・田舎に家を建てるなら覚悟しなきゃいけないこと
自然が好きでガチ自然豊かな土地に家を建てるつもり、田舎暮らしが好きなのでガチ田舎に家を建てるつもり、という方は前置きは必要ないでしょう。田舎で暮らすと起こることをそのままお読みください。
時間がない方
TL;DR
■田舎と一口に言っても定義は難しい。
■一般に都会と表現される場所であっても最寄り駅まで車で行かないと厳しい、というくらいの距離だとそれは田舎。
■地方の物価は安くない。
■ガソリン代を舐めてはいけない。
■車代を舐めてはいけない。
■冬は家篭りと雪掻き。
■子供は結局都会を目指す。
■レジャーは日常になった途端つらくなる。
■人間付き合いと自治会。
その土地が安い理由
家を建てる時、悩むのは土地です。
土地といっても様々な基準がありますが
その中でも一番悩ましいのが立地、つまり「場所」です。
すでに土地を持っている人も本当にそこに建てるべきか悩みますし、持ってない人はまずどこに建てるのかをエリアから決めるところからスタートし、膨大な作業が発生します。
土地の値段は上物のようにスペックで決まるものではありません。
文字通りピンキリです。
値段には価値が反映されていますから皆が欲しいと思う土地は高価であり需要の多さと単価は比例します。
駅から徒歩数分の土地と車で数十分の土地の値段は数十倍の差がつくことも珍しくありません。場合によっては何百倍、何万倍の差があることもあるでしょう。
安い土地は「需要のなさ」が反映されています。
土地には自治体によりほとんどの場合、用途地域が指定されており「家を建てられない土地」もしくは「家を建てるには特別な許可」が必要とされる土地なんてものも存在します。
「需要のなさ」はイコール「不便さ」であると言えるでしょう。
一般論として安い土地は不便です。不便だから安いのです。
人が「いい場所に住みたい」と言わない理由
「いい家に住みたい」という欲求は誰にでもありますが「いい土地・場所に住みたい」という意見をあまり聞かないのはなぜでしょう。
「いい家」は多分に主観が含まれています。
例え他人が好まないような作りであったとしてもそこに住む人が「いい」と言えば「いい家」なのです。
誰しも「これはいい家である」とそこに住む人が言えば反論することはないでしょう。
これは「いい家」という表現にベクトルの方向性が定まっていないことを表しています。
家に関しては「いい」という理由は様々である、ということです。
一方で「いい場所」という言葉を聞くとどうでしょう?
実は「いい場所」という表現にはある一定の物差しを喚起させる働きがあるのです。
それは「他人が羨ましがるだろう」という物差しです。
この表現に「私がそう思うからいい場所」と付け加えることは実は難しいのです。
土地に関しては何も主張しなければ単純に他人が羨ましがるものが「いい場所」とされてしまうのです。
他人が羨ましがるものはなんだって高いものです。
「いい場所」と言ってしまうとその場所は絶対的な価値を持ってしまうものなのでごまかしが効かないのです。
「いい土地・場所を求めて」しまうと、経済的な理由で(得てして)他人の評価が低い土地を手に入れてしまった時、
その場所を「いい」と評価することは自分自身の評価を下げることになってしまうのです。
みんながおいしいと思うものを1人だけマズイと表現してしまうと、バカ舌だね、とレッテルを貼られるのに似ています。
だから人は「いい土地、場所を求めている」とは言いにくいのです。
それでもいい土地だと主張したい
どんな場所であっても、自分が選んだのだからそこはいい土地でいい場所である、と言いたいですよね。思いたいですよね。
方法はあります。
それは「主観を強調するのではなく主義を強調すること」です。
その場所を「いい場所」とする理由を主義から求めるのです。
そうすることで他人の価値を含めた絶対的な価値を無視することができます。
安い土地は不便ですが、例えば不便な土地以外買うことができない時はどのように主義を主張したらよいでしょう。
それは2つしかありません。
「不便さが好きなんだ」
もしくは
「不便だけど自然が豊か。自然大好き」
この2つです。
とにかく不便な土地に家を建てようと決断したとき、認識しておかなければならない事実があります。
物価は安くない
関東の都心部からIターンをした本山さん(仮名)の話をインタビュー形式でお届けします。zoomで聞きましたよ。
ーどの辺にお住まいですか?立地はどんな感じですか?
中国地方のとある都市です。
最寄り駅から車で30分くらいの山間部に家を建てました。
駅、と言っても今まで使用したことはないです笑
多分、地方と呼ばれる地域なんだと思います。
ー細かいお話を聞いていきます。
地方は物価が安いと、お聞きしましたがそうなんですか?
いや、安くはないと思います。総合的に考えると高いと思っています。
というのは、この辺はある野菜の産地なのでその野菜だけは安い気がします。
他の野菜とか特に日用品はネットの方がかなり安いと思います。
送料考えると微妙な感じなのでこの辺で買うしかないのですが。
海にも近いので魚介類は少し安いかもしれませんね。それでも総合的には高いと思います。
あとガソリン代かかりますし。
ーああ、車で移動がメインだから?
はい、ガソリン代はすごくかかります。スーパー行くのにも車で往復50分はかかります。
何するのにも車ですから。
妻用に軽自動車買いましたし。
車が二台ないと別行動できないんですよね。
例えば散髪に行くにもその費用とガソリン代数百円が上乗せされるイメージです。
ガソリン入れに行くにもガソリン代がかかります。笑
ー車って二台いるんですかね?
少なくとも私たちには必要です。
通勤時間が同じではないですし場所も違いますし。近所の人の中には自分たちの車に加えて親の車と農作業用の車、子供の車となんかいっぱい所有している人もいます。
ー生活環境は快適ですか?
気候という意味では夏の夜に限っては都会ほど暑くはないと思います。
これは地方、というより山間部ということが関係していると思いますが。
概して夜は気温が下がる感じですかね。
昼間はあまり変わりません。
ただし冬は好きではないです。
雪が積もるので車に事前にチェーンを嵌めないといけないですし、終わるころにまた外さないといけないです。めちゃくちゃ面倒です。もう一台の車はスタッドレスに履きかえます。
なんか外に出るのが億劫になるんですよね、生活に必要な用事以外。
雪掻きもあります。
雪掻きしないと、近所の人に白い目で見られるのが怖くて笑
そういう空気があります。
ーまた車の話笑
将来に対してその住環境が影響することってありますか?
ずばりですね、子供たちのことです。
僕たちは都会からやってきた人間なのでそれなりに内からも外からもこの地域を知っているつもりです。
今、上の子は小学生なのですが例えば電車というものがどれほど普及しているものなのか、どうやって乗るものなのかなど、多分わかってないと思います。
旅行とか里帰りで乗ったことはあります。
その時もひどく興奮していたのを覚えています。
こういう経験がおそらく将来都会に対する憧れにつながり、結局都会に住みたい、というんだと思います。
そうなったら僕たち親はただの田舎のお爺さんお婆さんですよね。
早かったら高校あたりでもどこか都会の高校に行きたい、と言うんでしょうね。
住むまでは都会からやってきた私たち、という視点でしか考えてなかったのでちょっと浅かったな、とも考えています。
ーなるほどそれは難しいですね、地方に住みたい、というのは都会での経験あってのものかもしれませんね
あと都会に住んでいた頃はよくアウトドアにキャンプや釣りなどをよくやってましたがこっちにきてからは、初期の頃除いてほぼなくなりました。
逆にショッピングモール的なものが恋しくなります笑
結局、自然やアウトドアが好きというのではなく、そこにない非日常を求めていただけなのかな、と。それがほぼ日常になった途端どうでもよくなる。僕たちに限っては、ですが。
ーん、なるほど。地方に住もうかと考えている人に何かアドバイス的なものありますか?
僕たちはいますここで生活をしていることを後悔しているわけではないですが、以前の方が良かったことも沢山あります。それを乗り越えられるくらい自然が好きかどうか、をよく考えたらいいと思います。
あと僕たちのケースではなかった話ですが、地方には住人たちの横のつながりが強い集落があります。移住者仲間でそのケースに当たってしまった人から聞いた話ですが。
何に使われるかよくわからないお金を徴収されて、その支払いを渋るとゴミすら出させてくれない、と嘆いていました。
その人は自分で週に一回車で40分かけて市が運営するゴミセンターみたいなところに捨てに行ってるらしいのですが。
この辺の話は住んでみないとわからない話なのかもしれませんが、僕なら事前に市役所に調査してもらいますかね。
そんな出来ることをできるだけ事前にやること、みたいなのもアドバイスかもしれません。
インタビューはこんな感じでした。
同じ予算で考えると
「狭くて便利な土地」と「広くて不便な土地」という選択肢があるわけです。
この二つはトレードオフの関係です。
いくつか候補の中から結論を出さなければなりません。
何を選んだとしても住んで生活していく中でいい面も悪い面もあるでしょう。
その土地のせいでしなければならないこともあるでしょう。
その不満が出てきたとき、乗り越えられるくらい「その環境が好きだから仕方がない」と思える土地を選んでください。
自然が好きだから、これくらいは仕方がない、便利な土地に住んでるのだからこの狭さは仕方がない、というのは同じことなのです。